増原メッセージ:(8)増原宏 古希のお祝いの会

 みなさんこんばんわ。古希のお祝いの会を開いていただきまことにありがとうございます。古希というのは満年齢でいうものだろうと思っておりましたが、 奈良のどなたかが「数えでいうものです」と教えてくださって、改めて自分の年齢を自覚した次第です。最初は心の準備ができておりませんでしたが、最近は 「いやもう古希です」とさらっと言えるように成長してきました。今日こうやって夫婦そろってお招きいただいておりますが、ご存じの通り二人は同じ年で、 家内は研究を理解しサポートしてくれている戦友でもありますので、二人の古稀という事で非常に喜んでおります。
 最初に皆様にお礼を申し上げておきます。まず今晩のこの会を、私が最もお世話になっている光化学討論会の開催地で開くことを決め、準備をし、 運営してくださった皆さんに感謝します。今日まで幸せな研究者生活を来ることができたのは言うまでもなく、私の研究グループで私を強く引っ張ってくださった皆様、 共同研究者のお蔭です。1984年に京都工芸繊維大学で研究室を持ち、スタッフとフレッシュな気持ちで研究をともにしました。 1988年にERATOプロジェクトリーダーに指名され、青天の霹靂ともいうべき研究生活が始まりました。1991年に阪大の応物に移り、 疾風怒涛ともいうべき研究生活を続けました。2007年に退職しましたが、濱野財団、奈良先端、台湾交通大学では、全く新しい環境で 仕事を発展させることができています。これはすべて私とともに働いてくれた、スタッフ、共同研究者、学生、サポートチームの女性の 皆さんのおかげです。厚く御礼申し上げます。なかには安定したポストを投げ打って増原グループに参加された先生方も多くおられます。 その熱意と先見性に感謝の意と敬意を改めて表します。一言でいえば私の研究生活は予想以上の展開で大変幸せであります。
 少し時間が長くなりますが、この機会に昔話からお話しさせていただきます。私は小学校の2,3年は肺門リンパ腺結核にかかりほとんど学校に行きませんでした。 4年生で学校生活に戻るのですが、体操の時間は見学ばかり、学校生活はピンボケ、走ればべった、鉄棒にはぶら下がるだけとさんざんでした。 父親は「おれの子だから大丈夫」と言うだけ。母親は小学校の先生に「そんなに心配なら将来本屋でも開いて店番でもしていたら」と言われ、 憤慨したものです。そういうことで私は子供心に50歳くらいまで生きられればいいかなと思ったこともありました。それが古希まで生きてこられて不思議な気がします。
 こういう状況から人生を始めたものですから、人と同じことをしている限り私に目はないと感じるようになりました。これは周囲の強い雰囲気から弱い 自己を守るための方策であったかもしれません。私の入った三国丘高校は大阪では旧府立二中で、当時は東大にはほとんど行かず、京大に数人、 阪大に40人くらい、北大には数人というところでした。私は東北大に行くことにし、他の人と区別化できていい選択だったと思いました。 母親を高校1年生の時に時代に亡くしたこともあり、大学時代に強くならなければならないと言い聞かせていました。父親とその職業を尊敬しており、 それに比肩できるような仕事を自分はしなければならないと思っておりましたが、それが何かなかなかわかりませんでした。理学部3年生の時、 仙台片平町の東北大化学教室がいつも深夜まで実験が続いていうのを見て、こういう仕事があると感動をしました。物理化学の研究室を選びましたが、 小泉正夫先生はトイレに行くにも背中からワイシャツの裾を出しながら走って行かれるような方でした。先生の生活態度に強い印象を受けました。 私は東北大学に研究をすることを教えられ、どう研究をするかは阪大の又賀昇先生から学びました。
 最後に最近の生活を紹介させていただきます。すでに奈良先端の寄付講座はその期間を終了し、研究はもっぱら台湾の交通大学で行っています。 トピックスはレーザートラッピングの化学です。論文は阪大時代の最後の辺は年間約20報でしたが、退職後は半減して10報程度を出版しています。 もう教授会も、委員会も、専攻長も、入試も、就職担当もありませんから、研究と学会関係に集中できます。ここにも参加していただいている交通大の スタッフと議論をした後、キャンパス内の宿舎に歩いて帰る時、サイエンスは楽しい、私は幸せだと感じます。
 この3月に国立交通大学との5年の契約が切れたのですが、もう5年間の契約更改をしてくれました。台湾の財政、交通大の方針、 私の健康状態が変わらなければ、2018年の3月まで仕事をします。それまでにどうぞ台湾にお出かけください。お待ちしております。 本日はまことにありがとうございます。

                                                    増原 宏

増原先生古希のお祝い会ご案内(PDF:217)
増原先生古希のお祝い会出席者(PDF:116)



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